家の「敷居」って何?家の敷居は踏んではいけないの?
おはようございます。
静岡市駿河区でふすま・障子・網戸・畳の張替え屋を営んでおります、金沢屋日本平店です。
今回はこのテーマです。
家の「敷居は踏んではいけない」ってなんで?
そもそも、敷居って何?な時代かも?
今は、部屋と廊下の間、部屋と部屋の境目って段差が少なくなっていますよね。
当たり前に感じることも、確かに数年前は「へぇ~このおうちって、段差がないんだ~」と改めて見ていた記憶があります。
「今」に慣れてしまうと忘れてしまうものですよね?
例えば、家の近所で何年も見続けていた風景の一つなのに、その建物がなくなってしまうと「あれ?昔ここに何があったんだっけ?」と思うような(笑)。
きっとこれまでのことって、そうやって忘れていってしまうのがわかっているから、「残す仕事」「残そうと記録する人」がいたりするんですね。
話は戻って。段差のある敷居って、こんな感じです。
古いお寺ではまだまだ見かけますよね。
こういうところに小さい子や高齢の方はつまづくことが多かったんだと思います。
礼儀としての「敷居を踏んではいけない」
そして、私の小さいころはあまり強く言われなかったのですが、「礼儀」としてしっかり学んでいらっしゃる方もいる「敷居を踏んではいけない」。
「敷居を踏むのは、親の頭を踏むのと同じだ」とか「おじいさんの頭を踏むのと同じだ」とか、「敷居を枕にすると幽霊がでる」と脅かされた方もいらっしゃるかもしれません。
これは畳の縁を踏むと怒られるのと似ていますね。
なぜ言われるようになったのか?
縁も敷居も部屋や立場を「区切る」役割があります。
昔は、お客様の座る畳と、その家の主人が座る畳が分けられていて、その境を踏むのはタブーでした。
境を汚し、空間全体の格式が崩れて、場が不安定になることを昔の人は極度に嫌ったからだそうです。
畳の縁にはその家の家紋などが刺繍されていることも多いため、それを踏まないようにするための戒めもあったようです。
今もあると思いますが、昔の方が「秩序」や「格式」を大事にしている部分が強くて、そこを区切る「境」というものを意識していたのかもしれませんね。
境というのは、どっちつかずで危うい場でもあります。そのためいろいろなタブーが働いていたのだそうです。
秩序やルールがあることの功罪
テレビや本などでは、固まった「秩序」や「ルール」のようなものを破るストーリーが多かったり、それを観て爽快な気分になることがあるのは、こういった「秩序」に対する反発心の現れなんでしょうね。
反面、「秩序」やルールがないと、収拾がつかなくなることも多いです。みんながルールを破って痛快!な世の中になったとしたら、案外、日々の生活に不安に感じてしまうことでもあります。
立場によって、物の見方は変わりますね。
人々をまとめる手がかりの一つに「敷居をまたぐな」「畳のへりを踏むな」といった境界に意味を持たせた習慣だったのですが、今では「理由がわからないけど『マナー』だから」「『礼儀』だから」で守られている場合が多いのかもしれません。
個人的には、そこまで・・・と思ってしまうゆる~い人間なので(笑)、逆にこういうルーツを知ると「へぇ~!」と新たな発見をした気分になります。
敷居を踏むか、踏まないか、畳の縁を踏むか踏まないか?はご自身で決めていいと思いますが、こういうことを知ると、何も考えてなかったふるまいにも少し意識してしまうところです。
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