葛布(くずふ)の歴史と技法~時代ごとに姿を変えてきた日本の原始布~

2025年12月10日

葛布とは?

「葛布(くずふ)」は、山野に自生する葛(くず)のつるからとった繊維で織った布です。
昔は「雑草」ともいえる葛を使い、衣服や生活の布をつくってきました。

葛布を作る原料葛(くず)

奈良・平安時代には貴族の装束、江戸時代には武家の裃や袴、明治時代以降は襖紙や壁紙へと用途を変え、現代でも民芸やインテリア素材として生き続けています。

時代ごとの用途の変遷

  • 奈良・平安時代:喪服や蹴鞠用の指貫(ひきぬき)に。
  • 江戸時代:裃(かみしも)、袴、陣羽織、合羽など武家の服地として。掛川産が有名でした。
  • 明治時代:襖や壁紙に転換。欧米への輸出も盛んに。
  • 昭和~現代:戦後は一時衰退しましたが、民芸品・インテリア素材・服飾小物などに用途を広げ、いまも製作が続いています。

地域ごとの技法の違い

葛布は全国で作られましたが、代表的なのは九州(甑島・佐志)と静岡(掛川・金谷)

  • 九州では、葛糸に「撚り(より)」をかけ、地機(じばた)で織ることが多く、日常着や魚網など実用品に。
  • 静岡では、葛糸を撚らずに緯糸(よこいと)に使い、経糸は綿や麻。高機で織り、武家の服地や襖紙などに。

用途や求められる機能によって、糸の作り方も織り方も変わってきたのです。

九州と掛川の葛布の違い(表)

地域技法の特徴用途の特徴
九州(甑島・佐志など)・葛糸に撚りをかける
・地機(じばた)で製織
・外皮や芯を分離する工程で「叩く・発酵」など多用
・日常着・仕事着
・漁網・粗布
・生活に直結した布
静岡(掛川・金谷)・葛糸は撚らず、緯糸に使用
・経糸は木綿や麻
・高機で織る
・広幅布も生産
・武家の裃・袴・合羽
・明治以降は襖紙・壁紙
・現代は民芸・インテリア

掛川の葛布の歩み

掛川の葛布は江戸時代に武家装束で名を馳せ、明治には襖や壁紙として需要を集めました。
戦後は一時衰退しましたが、民芸やインテリア分野で復活しました。
現在も掛川や島田(金谷)で数軒の工房が伝統を守りつつ、新しい商品づくりや教育普及活動を行っています。
先日、私も掛川市にある小崎葛布工芸さんを訪問、店舗や工房などを見学させていただきました。
その時の記事はコチラです。
掛川の葛布(くずふ)とは? 小崎葛布工芸株式会社訪問レポート

現地での気づき(工房訪問とDVDで学んだこと)

訪問前の私は「葛布が減っているのは葛を特別に栽培する農家が減ったから」と思い込んでいました。
ところが小崎葛布工芸株式会社・専務の小崎さんに質問すると、こんな答えが返ってきました。

「葛は、あちらこちらにありますよ。例えば、今あなたが走って来たバイパス昇り口の側面などはほとんどが葛ですよ」

私はとても驚きました。葛は特別なものではなく、すぐ身近な場所に生えている「ありふれた植物」だったのです。

その後、お借りしたDVDを観て、葛を布にするまでの工程の多さを知りました。
採取して、蒸して、発酵させて、洗って、裂いて、糸にして、やっと織り上げる――。

DVD「究極の肌触り 掛川葛布」の
一場面をイラストにしました。
DVD「究極の肌触り 掛川葛布」より
DVD「究極の肌触り 掛川葛布」より

葛布が減った本当の理由は、原料不足ではなく、加工技術の複雑さと担い手の減少にあると理解できました。
同時に、これほどの手間と知恵をかけて生まれる布を「絶やしてはいけない」と強く感じました。

まとめ:未来へつなげる布

葛布は「雑草」ともいえる葛を資源に変えて布をつくる、日本の知恵から生まれた布です。
時代や社会のニーズに応じて用途を変えながら、いまも織り継がれています。環境素材としての価値も再評価されており、未来へとつなげるべき文化財だといえるでしょう。


出典

本記事は、深津裕子氏「染織工芸技術の変遷-葛布の製作技法と用途を事例として-」などの研究成果を参考に、一般向けに要約・再構成したものです。

参考資料

DVD「究極の肌触り 掛川葛布」小崎葛布工芸株式会社


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